20,Dec,2008

朝7時半起床。仕事場へ。9時、会社で幼稚園と小中学校の改修プロジェクトの打ち合わせ。午前11時過ぎまで。その後、平面図の修正を少し。正午、会社を出て、帰宅。Mac Bookを持って、名古屋駅へ。2時着、久々に堂原さんと会う。珈琲飲みながら、大学の頃に友人とつくった「Episodρ」をプレゼンし、雑談。堂原さんはJ.ルーカスの映画制作の企画を進行中で、これもその時に一緒に持っていってもらう。プレゼンは人にみせた方がよくなるし、話しているうちにネタが生まれる。堂原さんの友人は、「マザーハウス」という会社を立ち上げてバングラデシュで制作したバッグの販売をしているらしい。これもかなり刺激になる。その後、自分は池下へ。16時、賃貸ショップへ。家のキーをもらう。会った人には話していたが、一人暮らしの家を夏ごろから探し始め、ようやく移る。12月下旬でに引っ越し。楽しみだ。駅からは遠いけど、本山・覚王山で、庭付き、和室。めちゃくちゃ安い。今日のところは、家のキーをもらうだけ。だから、まだ実家に帰宅。で、家族と外食へ出かける。今日は大学の部活の集まりもあったが、家族優先とする。久々のワインが、美味だった。帰宅後、また出かける。夜は、ライブ「raster-noton japan tour」。体力的にキツいけど、行くことにした。12時ごろに着いたら、自分の出身である芸術工学部の助手のサカモト先生も来ていて、奇遇だった。もう一人芸工の学生、ゴエモンも来ていた。サカモト先生は、僕に暗室でのモノクロ写真の現像のやりかたを教えてくれ、さらに、本当は一週間しか借りれない学校のフィルムカメラを、卒業する時まで貸してくれた。あれは感謝している。久しぶりに話せてよかったが、来年からは北海道の稚内に行ってしまうらしい。遊びにいきたい。さて、ライブの内容。まず、pixel、めちゃくちゃかっこいい。音楽も相当いいけど、地震の計測に使う機械で、音がラインになっていくのやってて、ヤバい。サカモトさんによると、拾う周波数を変えてああいう変化を出しているとか。音楽という時間が、目の前で形になっていく。しかも銅版画のような精巧さ。ただ、唐突に入る村上春樹の朗読(海辺のカフカ)は、よくわからない。次が、nibo。これもヤバい。今は、映像と音楽を合わせることが簡単になったらしいけど、このノイズの映像は面白い。メガネをとって見ると光の粒子が波になる。高校で習う光の粒子説と波動説。こういうコンピュータの使い方、デジタルなものというのはワクワク感がある。byetone。特にはじめとかかっこよく、こんなプレゼンやりたいと思った。snd、ループし続けながら微妙に変わっていく。作曲やってるゴエモン曰く、すごいらしい。個人的には、関節をボキボキならした心地よさ、みたいな音。で、最後は、alva noto。坂本龍一とコラボしてて話題になったし、一番期待していた。今日はフランス語で何かお経のように朗読する人とコラボって、それがコンピュータミュージックと結構あっていた。全体を通して、感動。感動しすぎたのかわからないが、自分は無意識のうちに歯を食いしばっていたらしく、アゴを痛めてしまった。

[2008月12月21日]

ジャズ、アルコル、美術館

最近、「ピカソとクレーの生きた時代展」に行った。

12月7日(日)
午後、名古屋市美術館へ。やや体調もよくなく、あまり絵にひかれなかった。ところが、展覧会場を出たところに、来場者が書く感想ノートがあり、これが実に面白かった。子どもの、コレが好きだ!という勢いあるスケッチ、文章の途中で書くのがやめられた未完のコメント、英語や韓国語で書かれた感想文など、多種多彩。それに、誰かのコメントに対してあとで別の誰かが意見書いてたりもしてコミュニケーションノートにもなっている。その場で書かれた直筆の文章は、その人その人がすごくでる。このノートは、素直にできあがったもの、という感じがして、それがまた笑えた。つい、30分くらい読みふけってしまった。この展覧会で一番印象に残ったのは、その、即興のジャズみたいなノートだった。

12月12日(金)
昼過ぎ、仕事中に、ふと、日曜日に見たクレーの絵が浮かぶ。急にまた見たくなり、仕事を切り上げて美術館に行くことにした。金曜日の美術館は、夜8時までやっている。6時半に美術館着。しかしなんとなくもの足りなくて、近くの飲み屋で麦酒。7時過ぎ美術館へ。「閉館まで一時間しかないですが、大丈夫ですか?」と聞かれたけど、見たい絵は一つだけだから、もちろん入館する。展覧会の会期があと3日だからか、人は結構いた。一度見ているのもあって、自由に行ったり来たりしながら、美術館を散歩。ほろ酔い美術鑑賞である。見え方が変わるなコレは。2枚の絵画を同時に見たりもできるようになる。酒は視野を広げさせるのだ。ふと気づくと、まだ7時半。結構楽しんだのに、まだ30分しか経っていない。酒は時間すら拡大させてしまった。


 美術館にルールはない。美術館には、育ちがいいのだろう人がたくさんいて、自分も気分だけでもそれにひたるのは好きなんだけど、美術なんかもっと自由に見てもいいとも思う。(たまにいる、ワーワーしゃべり散らしているバカヤロウはただのバカだが。)先入観とか、既成概念とか、あるいはこだわりとか、そういうものを持つと、ものが観えなくなってしまうことがある。
 芸術なんて、すごく身近なものだ。僕の周りにいる人にはそう思わせてくれる人もいる。例えば、車上荒らしにあったのにそれで割られたガラスの破片を見て、そのキラキラする青い光がきれいだった、なんてことを言っちゃえるやつとか、小雨降ってても傘をささずに雨を楽しめるやつとか。そうやって、生活の中に楽しみを見つけられる人は、小さな芸術家なのだと思っている。

[2008年12月18日]

アート・ハート・デザイン

 僕は大学で、建築とデザインを学んでいたのだが、学校の勉強はなんだか物足りないなと感じていた。実物をつくっている世の中はそれはそれでインチキくさくて、モノをつくるプロでさえ「デザイン」は「付加価値」だと言っている人も多々いた。僕は、そうじゃないでしょと思っていたから、よく旅に出ると言っては、フっといなくなったりしていた。「デザイン」って、本当に大事な部分が抜け落ちてるんじゃないかな。そう思いながら、次第にモノから「人」に興味が移っていった。あるいは、アートとも言えるかもしれない。「デザイン」よりも「アート」には、野生ということや純粋さが感じられた。

 僕は、アートと生きることは同じだと思っている。このKayaba Nikkiから続くブログは、その断片とも言える。だが、「生きること」と同義のアートは、「死」にもつながってしまう。アートは、孤独で、残酷でもある。ただ、そんな残酷さから救ってくれるものがある。それは、デザインである。ここでいうデザインとは、思いやりということ、それからユーモアということ、あと少しの数学的な考え方、それらが基本にある。

 デザインに疑問を持ちながら、アートにひかれていき、アートへ傾きすぎてわけがわかんなくなったところを、今度はデザインに救われる。僕の個人的な経験としては、そんなあいまいな流れがある。しかし、この2つの関係は、言葉で表現するのが難しい。「歴史」の勉強不足もあろう。ただこの先も、この2つの間を行ったり来たりする、その振動している状態こそが、実は大事なのかもしれない。

[2008年12月12日]