フランス号 [2011.8.11]

自転車のチューブのパンクを修理をし、
そのついでに、タイヤも替えた。
前輪は、青色。後輪は、白色。

ボディは元からの、ワインレッド色である。

これで、赤、白、青のトリコロール自転車が完成。
「フランス号」とでも呼ぼうか。
早く走りたい。

しかし、「トリコロール」の配色だけに、
街で、道ゆく美女たちが「トリコ」になってしまったらどうしようか。
タイヤをさらに細くしたから、「二人乗りしたい」と言われても困ってしまう。
まいったな、コリャ。

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僕は今の自転車を買ってから約8年間、幾度となくパンク修理をしながら、ずっと同じタイヤとチューブを使ってきた。
そして今回、タイヤもだいぶすり減ってきているので、交換することにしたのだ。

家の前で修理しながら、向かいの家の亀井のオジさんと雑談。
亀井のオジさんの事は、以前このブログに「スパークリングハウス」という日記で書いたが、ものづくり大好きで工具もすぐ貸してくれる、頼れるご近所さん。この日も、紙やすりを貸してくれた。

亀井さんと話しながら、「修理」という技術は、気持ちいいなと思った。

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「修理」とは、デザインのようにモノを新しくつくるのではないが、故障・不具合を修正し、また快適な状態に戻す。場合によっては、元の状態よりいいものに工夫することもある。僕は「修理・修繕」は、ものづくりの一部だと言えると思う。
「修理・修繕」には、いわゆる‘デザイン’に見られる「意図」がない。また、「買う→壊れる→捨てる」のサイクルとは違い、既にそこにあるモノを生かそうとする、モノへの愛着みたいなものがある。
モノをよりよくする気持ちと、技術。他に余分なものがないように感じ、そこが気持ちよい。

といっても、修理・修繕していても、やっぱり少しの「遊び心」らしきが頭をもたげたり、こうやったらキレイだなという考えがでてきてしまう。人間だからしょうがない。
それはそれで自然なことで、要は、「トリコロール」を作ってしまうのも一応肯定しておきたい。

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今日書いたような、デザイナーより「技術者」に惹かれるという感覚は、
僕が大学時代に本などで「教育」されたものなのか、
時計修理の専門家でもある父親を見てきた影響なのか、
あるいは、みんな結構感じることなのか、いかがなものなんだろう。