SPARKLING HOUSE

 カン、カン、カン。カン、カン、カン。
 朝、目が覚めるとどこからか木工作業の音が聞こえる。日曜日の午前中。
気持ちのよい目覚ましの音の正体をさがし、家の表へ出ると、向かいの家の少年とお父さんが木で何かをつくっていた。そばには電ノコと、ノミ、カンナまである。さっきの心地よい音はノミで木を割く音だったらしい。聞けば、木製風車をつくって、ベランダに取り付けるとのこと。へえ、今どきそんなの手作りする人もいるのかと感心しつつ、自分も何か作りたい時はこのオジさんに言えば工具を借りれそうだな、と考えた。

 考えながら、ふと、そのオジさんの家を見て驚いた。アレレ、出窓のテント型の庇も、駐輪スペースも、ベランダの柵なんかも、みんな手作りじゃないですか。よくよく見れば子どもの持ってる椅子だって手作り。やるな、オジさん。
自慢もせずに、「ヘタだけど、つくるのが好きでねえ。」だそうだ。もちろん大工のようなプロではなく、ふつうの素人。確かにつくりは少々雑だ。でも全然楽しそうなのだ、このオヤジ。作業を見ていると、こっちも何か作りたくなってくる。
 
現代の住宅。それはTVコマーシャルとか、メーカーの展示場とかで宣伝される、一度建ててしまえば夢のような幸せな生活がおくれるマイホーム、というイメージで売られている商品だ。が、このオヤジの家は、ちょっと違う。いつも家のどこかを自分の手でつくり直してて、いつまでたっても未完で、でもそうやってつくりながら住んでいることが楽しくてしょうがない、そんな家なのだ。

 いつでもそうだが、建設中の建築には、活気がある。カン、カン、カン、なんて心地いい音が鳴っている。
スパークリングワインじゃないけど、いつでもシュワッと刺激的な家。Sparkling House。
向かいのオジさんちを見ていて、そんな家のイメージが広がっていった。

 「つくる」という行為は、身体を動かしながら、視覚的にも、聴覚的にも、にぎやかで楽しい。そして周りの人たちを巻き込みやすい。つくること、建築の祝祭性だ。
完成した建物だけが建築なのではなく、それをつくっていく過程だって祭りになり、音楽になり、物語になりうる。そう考えると、ゲーテのいう「建築は凍れる音楽」という言葉だって、造形物としては「凍れる」としても、未完の現場は、ライブの音楽だと言えるのかもしれない。

 だからスパークリングハウスはing形なんだ。いつでも現在進行形で音楽を奏でている。僕はそんな建築をつくりたい。そんな建築で乾杯したい。

[2009年2月20日]