新緑の五月。町のあちらこちらでツツジの花が咲いている。
先週、淳子さんが亡くなった。五十六歳だった。あまりに突然で信じられなく、考えると頭がクラクラした。
淳子さんは両親の勤め先の上司で、僕が生まれた0歳のときからかわいがってくれた人だ。最近では、僕が大学4年のとき、まちの新聞店の設計の話しをくれ、建物の設計からイベントの企画までに関わらせてもらった。淳子さんと僕は、「まちの新聞屋」はまちのみんなでつくらなきゃだめだと意気統合し、地元の小学校や中学校に建築ワークショップの企画を持って2人で乗り込み、新聞屋の建物の一部をまちの子どもたちのセルフビルドで巻き込みながら完成させた。一つの建築をつくる過程が、一つの物語のようだった。
このことは、僕に、建築をつくることは素晴らしいんだぞと、実体験で信じさせてくれた。この建物は今でも港区に建っている。
そして、今、僕は仕事での保育所の設計コンペで、子どもたちと職人の参加するセルフビルドを取り入れた保育所のつくり方を提案しているところだ。
淳子さんは昔からとにかくよくほめてくれた。ひょっとすると、両親の次にたくさんほめてくれた人かもしれない。周りの人を本当にすごいすごいとほめてくれる人だった。一方、その淳子さんは「文字を愛し、言葉を愛し、紙と活字の力を強く信じ」た人で、その文章はおもしろく、また料理などもうまかったから、周りで尊敬する人も多かっただろう。この人にはとてもかなわないなと思ってしまう人だった。
1時間ほどの通夜には、1000人近くの人が集まり参列した。通夜では、残された家族からの淳子さんを偲ぶ言葉が書かれたカードが配られた。
「ともすれば欠点にもなりそうな、そのエキセントリックさに心の底から救われた日がどれだけあったでしょうか。いつでもすべてを受け入れ、奇想天外な発想の転換によって、私たちの存在そのものをまるごと肯定してくれました。」(カードに書かれた文章の一部より。)
エネルギッシュで、そして本当に優しい心を持っている人だった。淳子さんの活動や話した言葉は、人が動けば世の中をより素晴らしく、美しいものにできるんだと教えてくれる。
心から感謝します。