赤い電車に乗っかって

 仕事帰り、いつものように地下鉄で帰宅する。自宅近くの最寄り駅、平針駅で地下鉄を降りたが、なんとなく寄り道したくなり、本屋で立ち読みをした。本を数冊買って店を出たところで、僕はスーツの上着を地下鉄車内の棚に置き忘れたことに気づいた。すぐに駅まで戻って、駅長室へ向かった。薄暗い駅長室。駅員に事情を説明し、鶴舞線の終点の豊田市駅に電話で問い合わせてもらったが、その電車はもう折り返して出発してしまったとのこと。後日、忘れ物センターに取りに行くようにと言われて、駅長室を出た。

 僕は、忘れ物センターに取りに行くのも面倒だと思った。上着はおそらくまだ電車の棚に乗ったままだろう。終点で折り返した電車にもう一度タイミングよく乗れればいいのだが。そう考えて、一か八か、駅のホームで電車を待ってみることにした。どの車両かは正確にわからないので、やってきた名鉄の赤い電車に乗りこみ、車内を探した。ジャケッットはすぐに見つかった。置いた場所に、同じように置かれていた。裏側に名前を入れてあるから間違いない。

 無事に帰ってきた上着を羽織って帰宅する。僕が本屋へ寄っている時に、この上着は電車に乗ったまま終点の豊田市駅まで行き、そこで折り返し、そしてまた平針駅に戻ってきたところを、ちょうどのタイミングでキャッチできたというわけか。僕も上着も、経過した時間は数十分間。だが、上着の方ははるか遠くの街まで行ってきて往復30kmの距離を移動したことになる。さっきまでの上着と、今着ているこの上着は、なんだか別のモノのような気がする。時間と空間とが一瞬狂ったような、不思議な感覚だった。

 ところで、僕が「空間」というものを感じられる瞬間というのは、何か単純には理解できないようなものに出会ったときに多い。子どもの頃に興味があったマジックでは特に浮遊とか消失という現象にひかれたし、何かズレとかブレみたいなもの、音でいうグルーブ(groove)とか、そういう空間がゆらいだ状況に、立体的な空間という感覚が現れる。一方で「空間」が感じられる建築はそうは出会えない。街のありふれた建物よりも、音楽や小説の方がよほど空間的なものをつくっているのかもしれない。

[2008年10月16日]