日記 [2008年6月]

080630
「土」というのはほっとけば自然に豊かになっていくという話を聞いた。一時的にやせた土地でも雑草生えてそれが肥料になって、また農業できると。自然はそういうもんかもしれない。

今日までで2008年は半分。ひとくぎり。相変わらず「感性」というのは大きなテーマ。


080629
6月28日・29日

土曜日出勤の日は、早く終えれることが多い。今日は18時あがり。その後イトサチ妹さんカーで、常滑市大野町へ。「虫送り」を見るため。火のついた巨大タイマツで田んぼの虫を掃うという伝統行事。約3mの麦わら製タイマツで、主に町の子どもたちが矢田川沿いを歩く。宮地さんがやってもいいよとのことだったので、自分らも混じる。川沿いを行く数十本の火の列が川の水面に映る。端から端まで1km近くありそう。太鼓の音もいい。約1時間歩く。あいにくの雨だったけど、いい伝統行事。

夜9時、常滑の八木さんのところへ到着。八木さんは陶芸家で、今週末は「窯焚き」とのこと。三日三晩、窯の火を絶やさずに、陶器を焼く。昨日から焚いているらしく、9時半現在、窯の温度は770℃。明日の昼までに徐々に温度を上げ、最終的には1200℃にするとのこと。屋根と簡単な仕切りがあるだけだが、畳と机があって、土間みたいな場所。風も雨も虫も入ってくる。けど、火があるからか暖かい。火を焚く窯を見ながら宴。窯の後方の余熱で、カレーを暖める。カレー、2種とも旨い。その後は、酒と談笑。自分は、陶芸の人たちに教えられ、窯に薪をくべるのを手伝わせてもらう。窯の温度を徐々に上げる単純作業だけど、全く飽きない。話はそれるが、自分が小さい頃に、何度も何度も見た映像がある。おそらくヨーロッパのどこかの工房で男達がガラスの器をつくっている映像で、真っ赤に溶けたガラスを吹いたり垂らしたりして透明なガラス細工の器をつくるものだった。今日の作業は、もう15年以上前に見たあの映像と、だぶっていた。窯の温度は850℃超え。煙突に触れてみると熱いくらい。夜2時頃、少し体調不良で、そのまま畳でごろ寝。雨音が心地よい。

朝6時ごろ、鳥の声に起こされる。職人の方は昨晩からずっと薪くべをしている。窯は950℃越え。宴の片付け後、朝飯の梅おにぎり。薪くべを手伝う。8時半、990℃、8時40分、1000℃超える。午前中は薪運び、昼食の準備。農業の戸田さんや陶芸店の杉江夫婦らもぞくぞく来る。12時半ごろ昼食。手づくり麦酒2種、手づくり窯の手づくりピザやパン、バーベキューなど。みなさん、食への意識が違う。美味。いつも以上にいろんな人いる。堂原さんのジョージプロジェクトは学部の頃の課題やったので、関わることにした。今度プレゼンを見てもらいたい。写真やってるディレックと話し、少し散歩、家の写真を撮る。4×5インチの大判カメラを教えてもらう。昼2時半、東京のTV局来る。8月中旬のアド街ック天国で常滑が出るとのこと。でもTVで紹介される陶芸って、職人が山にこもって陶器焼いてるお高いイメージに編集される気もする。本当は陶器だってもっと身近なものなのに。3時半、窯をあとにする。窯は月曜日まで焼き続けるとのこと。できた器は購入したい。

平針に帰宅後、写真屋へ。少し橋本さんと雑談。時代はデジタルだという話。デジタルとアナログ、今の自分は両方やるしかないな。


080627
この頃は、このメモブログとスケッチ帳のメモを書いているが、これ以外に、倉俣史郎の「未現像の風景」のようなエッセイを書き溜めてみようかと思う。


080626
会社の人に、花がなってると教えられた。確かにトマトに1mmくらいの花のつぼみらしきがなっていた。よく観てるな。


080625
トマトの水やりをしていて。プランターの大きさはまちまちで、土の量が少ないものは水がすぐに流れてしまう。まあ当然だけど、スポンジの量に比例して蓄えられる水の量が違うということ。土を耕すのは、空気を入れるという理由もあるけど、水を含みやすくするという効果もあるのかもしれない。

話を飛躍させすぎと言われそうだけど、脳も土を同じことが言えないか。勉強して本読んでいろいろ詰め込んでいくと、固い土みたいになってしまう。勉強はするけど、しょっちゅう、耕さなきゃいかん。

僕は、音楽は結構幅広くいろいろ聴きたいと思っている。イギリス、アフリカの音楽には結構ひかれる気がした。(マアこれは思いつきで書いてるが。音を聴きに現地に行ってみたい国。)で、意外にこの国々って、料理は美味しそうではないんだな。五感はつながってるはずなのに。ナンデダロウ。逆にイタリアの建築や美術、そして料理はすごいのに、イタリアの音楽ってのは馴染めなかった。例外はもちろん多々あったけど。イギリスには、ストーンヘンジがある。建築の原点とも言えなくない。アフリカの美術も、どこか原始的なものを感じる。この、原始的、という感覚と、その「音」がいいなと思わせられるのは何かつながりがあるかもしれない。どうだろうか?そして、そういう音楽って、ダンスに通じると思うんだが。身体の、頭から指先から足先までが音楽に共鳴する、ダンス。


080624
夕方、同期仲間誘って会社の庭で土いじり。こうなってくると、もう園芸部。が、蚊に刺されまくった。でも土をいじってから、建築の図面かきに戻ると作業が楽になる。

会社から帰宅中、平針駅から家に向かって歩いていたとき、iPodで言うとボブディランが流れていたとき、一つの制作活動を思いついた。これは実現したらおもしろい。自分のこれまでの体験から言えることだし、客観的に見てもわかりやすい話だ。うーんまだここには具体的には書けない。けど、思いついたということは書く。正確にいうと学生の時もチョッと考えたことだけど、もう少し具体的になった。で、本になって、その表紙まで浮かんでしまった。帯には誰がコメント書くのかまで想像は膨らんでいく。なんかこりゃ子供と変わんないな。でもやったら、共感しておもしろがる人々も案外いると思う。でそういう人が行動しだすと、そこからまた広がって、人が生活環境を見直すことにもつながるんじゃないか。世の中、進化していそうでそうじゃないけど、実は、おもしろいこととか心地いいこととかあるんだぜと言えるかも。知らないだけ、という人も多いはず。構想ねりつつ、動こう。そう、そう言えば、ソットサスや倉又史郎たちがメンフィスというグループ名考えたときも、ラジオからボブディランが流れていたんだ。ナイス、ディラン。


080623
先週金曜に肥料をやり、今日トマトを見たら、むちゃくちゃ成長していた。元気よすぎでビビッた。トマトにしてみれば栄養ドリンクを飲んだ感じだろうか。アーキグラムのエレクトリックトマトも思い出す。


080622
今日は出かけず、部屋の片付け。これをすると、いつの間にか読書になる。そういうことはよくある。しかもあまり開かなかった本をめくり始める。それで、これが意外に発見があったりするのだ。なぜだか。こうやって「予定外」の発見に出会うのは、ひらけていくことにつながる。その逆は論文のように収束させるもの。で、これはどっちもいる。自分はこの二つを行き来するバランスの取り方を考えねば。


080621
夏至。ということで、藁のすみかへ。たしか前の夏至ぶり、久々。アユチさん、藤岡先生らに挨拶。紙とパラフィンの照明つくる。使いににくい筆のおかげで逆にいい感じにできた。伊藤さんのギター演奏もあった。アントニオ・ガウディはサグラダファミリア教会の12本の塔を巨大な楽器とし、バルセロナ中に音楽を鳴り響かせようと構想していたのだけど、今日はそのガウディが鳴らそうとしていたらしいカタロニアの民謡を聴けた。ギターいいかも。世界中の民謡を弾けるから。今日の藁すみ周辺は祭りのような雰囲気だった。が悲しいことにこの藁すみは無くなるかもしれないとのこと。長年にわたって街を巻き込みながら変わっていくためにはガウディのようなとてつもなくデッカイ構想がなきゃいかんのだろう。


080620
今、会社では9株のトマトを育てていて、それぞれ3種類のプランターと庭に植えているため、その土の違いや室内と屋外のどちらにあるかによって、成長の程度がだいぶ違っている。植物に詳しい上司I氏によると、特に「土」で変わるのだそうだ。今日、家に肥料があったのでそれを会社のトマトにやった。月曜日が楽しみだ。

一度帰宅後、音ハコへ。アルゼンチンからHernan CattaneoというDJが来る。DJの世界ランクトップ10に入るらしい。なんだそれ、すごいじゃん。んでも、そこまで新しい音という感じはしなかったけど。いやいやそれでも、今日はなかなかカッコいい音。たまに、カンボジアのセミの鳴き声とか神戸の汽笛みたいなのがあってそれもよかった。で、芸工卒のアマノッチにばったり会った。視覚情報の。久しぶり。話す。いいね、なんか野心ある。社会人最初3年は勉強。芸工卒業生の先輩たちもそれぞれ活躍しだしているらしい。刺激になた。朝6時半、2度のアンコールで終了。熱かった。タカ、メグミ、感謝。やっぱダンサー最強論。たぶん2千カロリーくらい消耗したので、朝から松屋でカレー食って、帰宅。


080619
5月中旬に、完成した建物を見に行ったときにトマトの種をもらい、それで会社でトマトを育てている。種を植えて3日目に芽がでて、2週間で大きいプランターに植え替えた。数本の苗は、事務所の庭にも植えた代えた。事務所の室内や庭でトマトを栽培しているだけで、随分とほのぼのとした空気になるもんだ。

人柄もでてきて面白い。子どもの身長を測るようにスケールで大きさの記録をとる人、なんか休憩の度に水をやる人、植物にやたらと詳しく延々と説明する人など。という僕もスケッチしてみたりしている。今日は、第二段の芽が大きくなってきたので、大きめのプランターに植え替えた。プランターは手づくり。コンビニでペットボトル買ってきて同期仲間とつくった。逆さにしたふた側と重ね合わせて水も切れる仕組みで、我ながらなかなかよい出来だ。

こういう、のんびりした雰囲気は保つべき。僕のいた芸術工学部なんか、本当にそういう空気だった。飲み方とか特に。芸工棟2階、大島邸、院生室。

今も多少はその空気があるのがよい。会社の自分の横の席の人は、家具まで図面をひけるひとまず僕が目指したいところの人なんだけど、でも裸足にサンダルだったりする。こういう、ゆるさと真剣さ。力が入りすぎるとダメだな。だからラフスケッチの感覚で。僕はラフスケッチを見るのがかなり好きだ。いや、これはそのラフじゃない。rough sketch、素描みたいにすばやくサッと描かれたスケッチでも、デッサンとかちゃんとした絵画より惹かれてしまうものが多々ある。リキんでいる間はいいものがなかなかつくれない。マそんなときは笑うくらいがいい。ラフだけにね。

それにしてもトマトの勢いはすごい。ゴマより小さかったトマトの種が、一月半経ち、今15センチ以上に成長している。こりゃ自分もこんくらいの勢いで行かなかん。


080617
先週まで東京でやっていた横尾忠則の展覧会は大好評だったらしい。彼の展覧会を、教育委員会が「子どもは見ちゃダメ」と騒ぎ新聞で話題になったおかげで、逆に子どもから大人までものすごい数の人が美術館へ足を運ぶ結果となった。芸術家たちは、教育委員会ざまあみろ!と思ったに違いない。建築にはこういうふうに人を集めワクワクさせることは可能だろうか。自分の答えは、可能。学生時代に動いてわかった。今の仕事の建築はものすごく勉強になるけど、そういう子どもが目を輝かせちゃうようなものではない。が、忘れんよ。建築でも写真でも、少年少女たちが面白がって羨ましがるようなことをやれる。自分は、いわゆる「教育」にはあんまり期待していないです。少なくとも今は。でも何か「変えたい」という気持ちはやっぱあるんだな。初心、忘るべからずです。

今日の帰宅後の制作 水彩画一点


080616
「家の、生きてるような音」って言葉。そうそう、家ってそういうもんでしょ。今までに見た中で印象的だった建築を振り返ると、そういう音がしていた気もする。自分は建設途中の未完の状態が、かなり好きだったりするけど、それも生きてる音がしてる。
街や建築や空間を、「音」で考えてみるとイメージが一気に広がる。


080615
平日よりも早く起き、朝から晩まで活動。身体動かす疲労と、頭を動かす疲労は別ものだな。というよりは身体を動かすことで頭が動いてくるように思う。仕事は頭動かすことがほとんどだから、そちらに偏らないようにすべきだな。


080614
二日連続で「空」の話を書いてた。少々疲れが溜まって、頭が「空っぽ」になっている証拠だな、これは。
来週は久々に旅にでよう。


080613
僕は、職場に自分のMy歯磨きセットがある。
最近、My雑巾も用意した。
いつも、白ということ。

僕は、色彩が好きだ。原色や極彩色といった色には昔から惹かれる。
今日の夕暮れもヤバかった。雲なし。色。宇宙。
ホックニーの言葉を思う。「僕は、好きな絵を、好きな時、好きな場所で、好きなように描く。」


080612
夕方、屋上へ。これは、ほぼ日課になった。
今日の夕暮れの空には、2種類の雲が浮かんでいた。油絵の具で描かれた絵のような雲と、動く雲。
止まった時間と進んでいる時間を同時に見ている、不思議な体験。
何かの間違いで、マグリットの絵画と現実の世界が重なってしまったようだった。

なんて、今、屋上から席に戻って、会社のパソコンで書いてたりする。
どれくらいの頻度でメモを書くは意識したほうがいいな。やっぱ、日記か。


080608
ウェルフェア2008福祉健康産業展を見に行った。「福祉」関連の製品の展示会。できるだけ企業の人に話を聞くようにしたが、まだまだこうできるんじゃないと話すことが多かった。いや、僕はまだ何も知らない若いどうしようもないガキだけど、出品した多くの企業にはこれが福祉の最先端とは思って欲しくないよ。もちろん今日の展示会だって現実のほんの「一部」だろうから、自分ももっと調べねば。そして、自分のつくるものはどうだ、と自問し続けんと。


080608
朝6時まで音のハコ。月2回以上ペースの社会人。もう学生じゃないんだから大人しく、という考えよりも、音楽は現場で聴かなきゃ!という気持ちが上を行っている。それでもいい音に遭遇するのは稀だけど。音楽聴くことと、ものをつくることはつながる。(これは音楽に救われると言ったほうが正確かもしれない。)

建築設計の社会人の、限られた時間で、写真やったり、音楽聴いたり、絵描いたり、で2ヶ月経った。
今、建築が9割で、これは勉強になり面白いのだけど、「この先」に大事なことを考えてみて、今の仕事としての建築だけではかけてしまうものがあり、それがチラホラとこのブログに書かれているのだろうか。石山氏のように自分も「建築はおもしろい」という本など書きたいが、そのことと写真、音楽、絵、食事などはつながっている、本当は。それも忘れず、そんなこと言ってると行方わからずフワフワ漂う船になってしまうので、まず建築の仕事に専念しないと先が見えない、全く。このブログは今のままじゃマズいね。うーん。やっぱ自分のことは自分が一番よくわからないものだ。いつも。わかるのはこのままじゃマズいよということ。


080607
写真屋へ現像をとりにいき、橋本さんと雑談。橋本さんはずっとこの学区で写真屋をやっていて、それこそ僕が小学校の頃の運動会とかも撮ってくれてる人だ。今の写真の仕事はデジタル化しているが、オリジナルなものが生まれにくいという話など聞く。でも話の最後は、写真はおもしろいねえ、ずっと続けたい、とのこと。僕も同感です。で、自分も30年後にもやっぱりそう言ってたいです。こういことを言い合える人が周りに少しでもいるのなら、続けられるんだろうな。


080606
この日記を書くことと、路上で歌うことは同じだ。


080601
 僕の通っていた中学校の音楽の授業ではギターをやる。行っていたのは普通の公立中学校だけど、なぜか生徒全員分のギターがあった。演奏曲は、Ben E Kingの「Stand By Me」だった。この、中学生にしてはなかなかシブい授業は、音楽の岩間先生のおかげだったのだろう。主要科目のタイクツな授業はほとんど覚えていないけど、岩間先生の授業は今でも記憶に残っている。
 例えばリコーダー演奏のテストの時。吹く曲は選べたので、自分は一番簡単な曲を吹いたことがあった。反抗していたのかなんなのかはもう忘れたけど、難しい曲は吹く気にならず小学生でもできるような曲を選んで吹いた。ところが、テストの結果は意外だった。「音色は君が一番」と一言書いてあって、100点が取れてしまった。嬉しかったけど、エ、あれでいいんすか?と驚きだった。その他にも、指揮のテストとか作曲の授業とかがあって、岩間先生の評価の仕方はいわゆる学校の試験のそれとは少し違っていたように思う。
 そんなわけで、それまで音楽は苦手意識があったけど、岩間先生のギターの授業は楽しんだ。親父の昔使ってたギターを借りて家でも練習していたくらいだった。

 最近、といっても4ヶ月くらい前だけど、中学校の頃に借りてた親父のギターをまた引っぱりだしてきた。そしたら、聴くのもいいけど弾くのもいいもんだ、とハマってしまった。それで、ほぼ毎日さわっている。
 このところは中学校でやってた「Stand By Me」を弾いたりもする。ただ、John Lennonの「Stand By Me」。Ben E Kingもかっこいいけど、John Lennonがアツい。自分はコードA,F#m,D,E7,Aの繰り返しをひたすら弾き続ける。だからループして終わりがない感じ。音楽なんて、ちゃんとした終わりとかなくてもいいんじゃないかと。さらに、英語だから歌詞がよくわからない。stand by meだってステン・パー・ミーと聞こえる。でも音楽って歌詞の意味がわかんないのもありじゃないかということで何語なのかも気にしない。マア、キッチリ完璧に、をできないと言われてしまえばそれまでだけど、ギターという楽器ではこういう感じもありなのだと思う。

それにしても、10年前と同じ曲を弾けるのだから、「Stand By Me」はやっぱり名曲なんだろう。日本の売れてる音楽もわかるけど、でも、音色で点数つけちゃうような、曲の始まり終わりとかも関係ないような、歌詞とかわからなくても楽しめるような、そういう音楽もあるんだぜ、と岩間先生は伝えたかったのかもしれない。